カイエ

雑感や仮想

鏡台

使った皿をすぐに洗う。そういう些細なことができるか否かということが、精神状態の指標になる人間もいる。 寝台の舟。青い船。林檎の寝台。 睡眠を妨害するあらゆるものに苛立つ。手の指の表に刻まれた皺の深さを小さい頃から隠していた。皺が目立たないよ…

貧しさ

簡単に裏返る好悪。丹念に繋ぎたい脳を。 俺は裏切りの中にいる。シャチは群れをなしている。 なぜ哲学者は身体を問題にするばかりで骨を問題にしないのか。 身体よりも骨の方が最後まで残る。 ゴミは道端に捨てないのに煙草の吸殻を捨て黒いサンダルで火を…

paionia『白書』5.正直者はすぐに死ぬ

金曜の夜の東京の電車内は地獄の様相を見せる。泥酔し今にも死にそうなサラリーマンがやっとのことで吊革につかまり、ともすれば嘔吐し、それを怪訝な目で眺めるだけで助けようとはしない人々を見る私もまた、傍観者の一人だ。 大の大人なんだから自己責任で…

Muhuan

就職先が決まれば将来への不安なんて消えてなくなると思っていたのだが、やはりそんな考えは甘く、常に不安である。不安をライプニッツは行動の原動力だと前向きにとらえた。不安だからこそ人間はそれを払拭するために努力する。確かにそう言われればそうだ…

夏物語

以前はとても好きだった作家の長編小説。彼女の筆致で描かれる、繊細鋭敏な心象風景。呪いかのようにのしかかる哲学的問い。そして何よりも、なぜ創造しなければ無であったものを創造するのか、という生殖への懐疑。これこそが、私が彼女の小説、そして彼女…

存在の起源

エスカレーターに乗りながら階下を見下ろすと、上がっていくにつれて小さくなっていく、幼子の寝顔があった。その幼子は、母親の手で頭と尻を支えられながら、何も怖いものがないように安堵の表情で眠っている。 安堵する、ということがどういうことか私には…

蛍灯

私あんたのことを思い出すばかりで さみしい灯りをじっと眺めてたわ 私あんたのことを甘やかすばかりで 大事なことはずっと隠してたわ 優しさだけが正しいなんて言われなくてもわかっているわ 私あんたのことが憎らしいばかりで 冷たい体をじっと揺らしてた…

桜桃忌

桜桃忌に『桜桃』を読んで太宰との訣別を決意した。「子供より親が大事」、「子供よりも、その親の方が弱い」などど、甘えている屑。だったら子供なんて作るなと思う。 自殺する人間が子供を作ってはいけない。弱い人間が子供を作ってはいけない。 今年、父…

けがれなき酒のへど

自分の人生を売り物、見世物にするということが、割と一般的になってきた世の中だけれど、私小説に文体が必要であるように、確立された独自のスタイルがなければ、ひどく陳腐なものになってしまうのだろう。それは方法に自覚的になるということであり、生き…

いつまでも小鳥

囚われて気づくのに君は 笑われて気づくのに君は いつまでも ひとり いつまでも おとり いつまでも ことり いつまでも 殴られて気づくのに君は 傷つけて気づくのに君は いつまでも ひとり いつまでも ニトリ いつまでも ことり いつまでも 嫌われて気づくの…

梅雨入り

あいつの顔面を血だらけになるまで鼻が折れるまで殴る妄想を何度も繰り返す。こういう気分になることが人生であと何度あるのだろう。自分の中に溜まっていく滓。いつの日か俺は犯罪者になるのではないかという恐れ。正気を保たなければならないとはわかりつ…

怖い話

欲が縦横無尽に走る。君は身動きできず目が回りそうになりながらできるだけその軌跡を追っている。どうにかしてこの喧騒から逃れようと背伸びしてみるけれど、つま先は頼りなく君自身は心許ない。 彼が歌う神にも届きそうな歌に君は光を見る。彼は狂気と正気…

±

過信と猜疑の間で今日も揺れ動く 失うものなど何もないから恐れるものがないと思う このまま金が尽きて飯も満足に食えない生活が来ると思う 追い立てられるように 突き落とされるように 私は泥の中に軀を投げ出す

予感

いつかは音もなく 羽のような軽さで 北の方へ向かう 雪の花が舞い散る 間違い探しを 続けるのに飽きても 答え合わせは 永遠にできなくて うつる心たゆまぬように 僕は背中を触る これが進む道だとは 誰もわからないままで いつかは息もなく 水のような仕草で…

paionia『白書』4.左右

ミドルテンポやローテンポの曲が多い『白書』の中で、この曲は比較的速いテンポで三拍子を刻んでいく曲だ。そしてすべてのパートのプレイは激しさを帯び、緻密な計算のもとで冷静かつ大胆に音が駆けていくようである。 なかでもドラムのプレイは、目の前でラ…

paionia『白書』3.暮らしとは

この曲はpaioniaの自主製作アルバム『女の子たち』に収録されている古くからある曲で、paioniaファンの間で再音源化が強く望まれていた名曲である。 「暮らしとは」という曲名だけで聴きたいと思ってしまう人も多いだろうし、ひとたび聴いてみれば否が応でも…

paionia『白書』2.田舎で鳴くスズメ

周りを青々とした田畑に囲まれた農道を走っていく。だだっ広いコンクリートの上に、どこまでも長く続く白い三本のラインが映える。左端の白いラインを平均台に見立てて、そこから落ちないように右足、左足、右足と足を前に出していくのだが、その動作はもは…

paionia『白書』1.バックホーン

世界史の授業中に机に突っ伏してぼんやりと窓の外を見ている。資料集を読んで歴史という物語の中に入り込むことは好きだったけれど、基本的に単純暗記が点数につながる世界史の受験勉強には身が入らず、いつの間にか科目自体も好きではなくなってしまった。…

蚯蚓

例年より早い梅雨明けを迎えた七月は、最後の足掻きをみせる湿気と焦燥にも似た暑さを孕み、憂鬱を助長するのに持って来いだった。急に干上がった地面の上には何匹ものミミズの死骸が散らばっている。黒よりの赤黒い塊となった紐状のものが小さく丸まって一…

静寂と静謐

中央線で立川から吉祥寺へと向かう途中、三人掛けの席の中央に座ってきた女性。彼女はキャリーケースを引き下げ、それを挟むように足を広げて座った。私は左端の席にいて、彼女と微かに肩が触れ合う。車内は静かでみなひとりだ。ふと気づくと彼女はハンドタ…

悪夢

女は悪夢を見やすい生き物である。これは仮説ではない。 毎晩悪夢にうなされる女はたくさんいる。夢の中で精神的にしろ肉体的にしろ傷つけられた女は、はたと目覚めると涙を流している。この涙は嘘ではない。生ぬるさが目尻から耳の方へと伝うことを感じると…

成長

ただの一度も思い出したことのなかった物事、それが不意に迫りくることがある。中学生の時に同じクラスで不登校だった女子生徒、彼女はまだ生きられているのだろうか。あの時期に学校に行かないという選択をできた人というのは実は早熟だったのかもしれない…

諧謔

もう限界です。あなたたちが僕を踏みにじっていることを自覚しているのか、言われれば気づくのか、全く自覚していないのか知りませんが、私を不快にさせたり傷つけたりするのが趣味なあなたたちとはいい加減もう会いたくありません。これ以上会い続ければ、…

実感

一篇の詩のように儚く強い言葉 触れるには無理がある俺の前のそのもの 花になる訳もなく漂っている 果てもなく探してる真らしいこと 何をとらえる 何も奪えぬ 何もいらないのに 生きているそれだけで愛せればいいのに 心には無理がある完全に程遠い 花になる…

根腐れ

流しにはひたした水が濁り始めた皿がいくつもあり、空気がこもりやすい部屋はじめじめとして黴がはえているところがある。あと何日かしたら放置された皿にも黴が点々とはえて、いよいよこの部屋は健康を損なっていくのだろう。当の家主はといえば、四、五年…

白い箱

重すぎた言葉を省みる夜には 遅すぎる祈りも少しずつ冷めていくから 閉ざされた窓 彼は崩れていた 箱詰のあなたは 声もなく無垢な少女 思い出す言葉も忘れていく夜には 残された僕らも涙すら乾いていくから 閉ざされた窓 顔は笑っていた 箱詰のあなたは 息も…

神の視線

電車の向かい側に座っている人が隣の人のスマホを覗き込んでいる。隣の人はスマホをじっと見つめていて気づかない。僕はそののぞきという下品な行為を見ている。もしかすると、スマホを見ている人のスマホを覗いている人を怪訝な顔でみている僕のことを見て…

帰り道

日に日に失われていく若さと引き替えに、生まれくる郷愁がある。数年前までは帰省するのは億劫だったのに、今は疲れを癒せるような気がして自然と心が躍る。5歳から生まれ育ち19歳で離れた土地に帰ることは、人にも土地にも愛着を余り感じない私にとって、唯…

きおくのうみ

彼女と初めて会ったのは4、5年前の初夏だった。浪人をして三流大学に入って、これからの大学生活にも人生にも期待できず、浮かれている人ごみの中を怪訝な顔で歩いていた時、彼女もそんな顔で歩いていた。ただ彼女のほうが肌が白かったから、幾分目の下のく…

老いた良き日

日々を暮らす 何もせず あなたの暮らしを思っている 老いた体を奮いたたせ 階段をのぼる 一段ずつでも 物を失くす 電話をかける あなたに届く 想いは実らず 一人窓に腰をかけて来たる終わりを夢見る 向かい合う白いあなたと 話しかける 答えはなく 私が愛し…