カイエ

雑感や仮想

帰り道

日に日に失われていく若さと引き替えに、生まれくる郷愁がある。数年前までは帰省するのは億劫だったのに、今は疲れを癒せるような気がして自然と心が躍る。5歳から生まれ育ち19歳で離れた土地に帰ることは、人にも土地にも愛着を余り感じない私にとって、唯一の根となり得るのだろうか。

母は私が帰省する時、必ず最寄り駅まで車で迎えに来ようとする。それは彼女の習慣というよりは、彼女の母としての義務となっているようだ。母はいわゆる更年期真っ只中で、かなりヒステリックであり、私は昔から彼女との会話を避けていた。彼女が母として私を愛してくれていることは十分承知しているのだが、私は彼女を母として愛するよりもまず、1人の人間、「彼女」として接してしまう。それはもう小学生の時からそんな状態で今更どうにかできることでもない。
古びれた駅は以前と変わった印象はなく、蝉の声がわずかに響く初夏の昼間に私はこの土地に帰って来た。母は少し前に新車を買ったので私は新車の外見がわからず、ナンバープレートのナンバーだけ教えてもらっていた。母に高揚を気付かれないよう、伏し目がちで車を探し、スライドドアになった車に乗り込んだ。
「髪切ったのね。」と母は言った。
帰省する度に母は私の長めの髪を嫌がる。その非難を避けるため、というわけではなかったが、私は帰省する前に髪を少し切ってこれからやって来る本格的な夏の暑さに備えようとしていた。
「ばあさんがボケてて大変なのよ。料理は同じ味付けしか作れなくなったし、すぐ物はなくすし、すぐどこか体を悪くするから仕事を休んで病院に連れて行かなきゃなの。」
祖母は80代半ばで、数年前からボケてきている。私が小学生の頃は働き者で家事はなんでもしたし、私がゴロゴロしてると「なんもしねえで!」と怒るくらいに元気はあったのに、今は母に怒られてばかりで、体も小さくなり、いつもパーマをかけて整えていた髪もボサボサになってしまった。
私が母の車で母と一緒に実家に帰ると早速始まった。
口内炎の薬がねえんだ」と祖母は歩き回っていた。
「なに、この前渡したばかりでしょ!またすぐ無くすんだから、ほんとにまた仕事増やして!!」と母は怒りをぶつけた。
母の叱責はネチネチと5分程続く。その間祖母は全く反論せずにおろおろと家を探し回っているだけだ。祖母は本当は怒ると母より気迫がある。でも祖母は触ると葉を閉じるおじぎ草みたいに、か弱く縮こまってしまっている。ばあちゃんが可哀想だ、と私は思った。
認知症はそれによりやってしまったことを怒ったり叱ったりすると更に悪化する。そのことを母は十分承知している。母は介護系の仕事で働いているからだ。一度私は母にそのことを聞いてみたことがある。その時母は、
「もちろん、わかっているけど私も介護の仕事でストレスを溜めて家に帰ってきて、自分の家でも自分の親が面倒を起こすと我慢できないのよ。自分の親なのに叱ってしまうの。」
と言った。

人間の徳とは人知れずどれほど我慢できるかどうかではなかろうか。聖人と崇められた人々は悟りをひらいたような静謐さと神聖さを備えていたのではなく、周りの人間に気付かれないように湧き上がる情念をひた隠していたのだ。負の感情を押し込め、愛だけをひたすら顕示すること、これが人徳の要件である。

東京に戻る日、祖母は神社の祭りに行くと行って、私が帰る駅までの道を途中まで一緒に歩いてくれた。祖母は杖をつきながらゆっくり歩き、私は祖母の少し前を祖母の足取りを気にしながらおもむろに歩いた。目をあけられないほどの強い日差しの中、私たちは夏の大気の中を何も言わず進んで行く。これが2人で歩く最後かも知れないとふと思いながら、その感慨は決して生々しいものとはならず、老いた彼女の息づかいを背中で感じていた。