カイエ

雑感や仮想

paionia『白書』2.田舎で鳴くスズメ

 周りを青々とした田畑に囲まれた農道を走っていく。だだっ広いコンクリートの上に、どこまでも長く続く白い三本のラインが映える。左端の白いラインを平均台に見立てて、そこから落ちないように右足、左足、右足と足を前に出していくのだが、その動作はもはや意識的というよりかは器械的なもので、二回吸って二回吐く呼吸法と共に自然に体が進んでいく。後ろから来た軽トラックが、捕まりそうな速さですぐ脇を通り抜けていく瞬間、身震いがした。盆地特有の蒸しかえす空気が停滞した夏の日を、走り抜けていた記憶である。

 2011年3月11日、paioniaの二人は故郷福島の小学校で卒業生を送るために、体育館で演奏を披露していた。その日のことはもうネット上から消えてしまったかもしれないが彼らの「東京」という曲のセルフライナーノーツに詳しい。確か音楽室かどこかにうつった時にあの大地震に見舞われたのだったと思う。震災以来、何か心の変化のようなものはなかったと彼らは言っていたはずだが、それでもあの状況で何も感じないわけではもちろんなく、あの経験を経て「東京」は生まれたし、「田舎で鳴くスズメ」も「東京」の続きのような曲らしい。

 特徴的なドラムから始まり、ギターの掛け合わされたアルペジオと自由に動き回るベースがイントロを飾る。『白書』全体を通して、以前からオリジナルで洗練されていたベースラインが更なる進化を遂げたかたちで鳴っている。単純なルート弾きとは一線を画す、スリーピースならではの、ベース的ではないベースプレイが「田舎で鳴くスズメ」で聴くことができる。「ベース的ではない」という表現はもちろん悪い意味ではなく、通俗的なベースの役割の範疇を容易に飛び越えることが可能な突出性を含意している。一聴、ドラムのリズムが浮いて聴こえるようではあるが、途中からバンドのアンサンブルはまとまりをみせ、むしろ最初のドラムのリズムは耳に残る効果を上げている。どこか牧歌的で懐かしくもある曲の雰囲気は、福島の田舎出身の彼らでしか作れないものであり、「最初から何もないけれど 思い出はずっとそこにいて 僕らが生きたこの街は一生死ぬことはないさ」と「東京」で歌った彼らの故郷の街が、目に浮かぶようである。

 震災以降、多くのミュージシャンが震災復興のために曲を作り歌を歌った。しかし、被災者を励まそうという歌がかえって自らが被災者なのだという意識を植え付けることにもなりうる。その当事者意識に今も苛まれている人は多いだろう。押しつけがましい歌よりもそこにあって聴く側が自ら選択できるような音楽が存在していればそれでいい。「みんなの歌は全くと言っていいほど僕にはやっぱり届かないし」自分が自分のために歌った歌が自分にとっても結果的に他者にとっても、価値を持つものとなりさえすればいいのである。

 また写真家服部健太郎氏によって撮られたMVも素晴らしいのでぜひご覧いただきたい。彼の写真の核が、映像になっても顕著にあらわれており、純粋に美しい光景が眼前にあるだけで涙がでてくる。何度見てもその度に新しい発見がある素晴らしい芸術作品だ。

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