カイエ

雑感や仮想

paionia『白書』3.暮らしとは

 この曲はpaioniaの自主製作アルバム『女の子たち』に収録されている古くからある曲で、paioniaファンの間で再音源化が強く望まれていた名曲である。

 「暮らしとは」という曲名だけで聴きたいと思ってしまう人も多いだろうし、ひとたび聴いてみれば否が応でも刺さってしまう歌詞が並んでいる。

 洋楽に親しんでしまった今となっては、歌詞カードを見ながら音楽を聴くことなどもうほとんどなくなってしまったけれど、この曲はぜひ歌詞カードを見ながら聴いてみてほしい。

 誰もが一度は経験するであろう無意味な一日。やるべきことはあったのだが、午後にようやく起きだして何をするでもなく、いつの間にか日が暮れて、少しの罪悪感を感じながら深夜の静寂に身を任せ、ふと閉ざされたカーテンの隙間から空が白んでくるのが見える。

 

  落ちるとこまで落ちない 人生で12位くらいの悩みぶら下げて 活字を追い続けて

 

 堕落しきるところまで堕落しているわけではないが、毎日規則正しく生活している人々に比べれば自分は腐った人間で、大したことのない憂鬱をさも重大な人生の問題かのように取り扱う。部屋をでれないのか、でないのか、俺はただ甘えているだけなのか。きっと自分が抱えている悩みなんて、まさに「人生で12位くらいの悩み」であるはずで、本当は部屋を出てまっとうに生きなければならない。しかし、それができない。

 そんな一日は確実に終わりを迎え、確実に明日がやってきて、それが死ぬまで繰り返される。みんななんとか生きる理由を見つけようと自分を奮い立たせているだけで、本当は、生きていてしたくないことはたくさんあるが何かしたいことがあるわけじゃないのかもしれない。「浦島太郎かい 欲はそれ程ない」。

 

 この曲を意識していたのではないのだが、今年の夏、ふと暑いのにも関わらず毛布にくるまって寝ていて、

 

  夏になっても毛布は出したままで 嫌になっても結構我慢して

 

というこの曲の歌詞を思い起こした。この曲は無意識にも入り込む、ともすれば聴く人の奥深くにある領域と密接に結びつきうる曲なのかもしれない。